実際の「おいしい」と、頭の中の「おいしい」

昨日は久しぶりにピザを作ってみた!

ウキウキして作ったのだけど、できたものはイメージとは違ったので、「おいしい」ってなんだろうと考えた。

フレッシュトマトのピザ

今回は簡単に作れるレシピでやってみた。生地はイーストで発酵させないで、ベーキングパウダーで作った簡易版。味もパスタソースじゃなくてケチャップを少し塗っただけ。

でも、具は気合いを入れて、フレッシュなトマトとバジルをたっぷり!

生地がケーキみたいでこれはこれで美味しかった、、けど、やっぱりこれじゃない!食べたかった味じゃなかった。

余ったバジルはどうしよう。

他人が作ってくれたごはんが美味しい

食べた人は「美味しい」と言ってくれるのに(気を遣ってるだけか?)、自分は「ちょっと失敗だな」と思うことがある。私は半分以上そうかもしれない。

逆に、私はめちゃくちゃ美味しいと思うのに、作った人は「失敗した」と言うこともある。

料理する人は、料理が出来上がる前にすでに一回味わっている。作る前に、今までの料理経験や過去に美味しかったもののデータなどから味をイメージしているんだと思う。

そのイメージにピッタリの味を作れるのが料理の腕だろうし、初めてのレシピはイメージ通りにする試行錯誤を経ていないから大体上手くいかない。

インスタで見たレシピは、写真から「おいしさ1.5倍」でイメージしているので、作ってみると「ちょっと違う」と思うことが多い。

けど、食べる人は事前にイメージを味わってないから、それはそれで美味しかったりする。

記憶の美味しい

「おいしい」は不思議で、気持ちからの影響も大きい。

過去に一番おいしかったものというとパッとは思い浮かばないけど、記憶に残る味はある。

母が休みのときにめずらしく作ってくれたリンゴとホットケーキミックスのドーナツ。(焦げてた)自分が熱で早退したときに剥いてくれた梨。(料理?)

キャンプに行ったとき、たき火で作ったカレー。(とっても薄かった)

美味しかったのかと聞かれると、そうでもないと思うけどよく覚えている。

夫の誕生日に行った、お刺身を焼いてくれる築地のお店や、仕事で目標達成したときにみんなで行った、ちょっといい焼き肉屋さん。後日食べにいったときは「あれ?こんな味だった?」と思った。

前住んでた家の近くでちょっといいことがあると行っていた、隠れ家すぎるイタリアン。…は、いつ行っても美味しかった。

最近よく見る子ども用番組の歌に、「おいし、たのし、うれしい♪」という歌詞が出てくる。たのしくてうれしいと、余計おいしい。

逆に食事中に悩みがあったり、誰かがケンカしてたりすると味なんてしないよね。

料理で「おいしい」のためには毎日がんばるけど、時間の関係もあってできないこともある。食事ができあがって食卓に並べて子ども座らせると、食べる前に疲れはててることもある。

でも、できるだけ「たのしい、うれしい」を忘れないで食卓に集めるようにしたい。

私は卵の生まれ変わりですー『やっぱり食べに行こう。』を読んで

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