無表情の少年が印象的な表紙。
「共感とは?」「普通とは?」「愛とは?」…
目に見えないけど、皆が知った気になっているものを、もう一度問いかける小説です。
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怪物と呼ばれる少年
題名になっている「アーモンド」は、脳内で恐怖などの感覚を司る扁桃体のこと。
主人公のユンジェは扁桃体が小さく、感情を感じることが苦手です。
幼いころから笑わず、恐ろしい出来事が起こっても淡々とした様子のユンジェ。次第に周りと噛み合わなくなり問題が表面化します。
そんなユンジェがひょんなことから出会ったのは、誰も寄りつかない不良少年ゴニ。
「怪物」と呼ばれた2人が出会い、ユンジェだけがゴニを理解しようとします。
ユンジェが感情を理解しようとするのと反対に、ゴニは「恐怖を感じなくてよくなりたい」と願う(それが強さだと思っている)のが印象的です。
「ゴニはヒドいことができる子じゃない」と信じるユンジェには、虚勢や威嚇を通りこして、誰よりも真実が見えている気がします。
問題が起こらなければ良かった?
この本を読んで心に残った個所があります。
店や学校で暴れることを繰り返すゴニに手を焼いた父親が、ゴニを生んだことを後悔する場面です。
それを見たユンジェは、その方が辛いことも問題も起こらなくて良かったのだろうかと考えます。
でもそうすると、すべてのことは意味を失い、嫌な思いや辛い思いをしたくないという目的だけが残るという結論に至ります。
出来事は表裏一体。
負の感情には振り回されることもあるけど、何も起こらない人生も…それはまた違うかもしれません。
私は子どもが泣いたりすると「寝てって言ったら寝て、起きてって言ったら起きて、食べてって言ったら食べてくれればいいのに…」と思うことがあります。
でも冷静になって考えると、それだとラクかもしれないけど、喜びもなくなってしまいそうです。
感じるとは、共感とは
もう1つ、心に残ったのがこの部分です。
遠ければ遠いでできることはないと言って背を向け、近ければ近いで恐怖と不安があまりにも大きいと言って誰も立ち上がらなかった。ほとんどの人が、感じても行動せず、共感すると言いながら簡単に忘れた。
感じる、共感すると言うけれど、僕が思うに、それは本物ではなかった。
『アーモンド』(ソン・ウォンピョン著、矢島暁子訳、 祥伝社)p245
身近にあるいじめ、差別、暴力。
他の国で起こっている貧困、天災、環境問題、そして戦争…。
普段入ってくる情報を、私たちはどのくらい自分事としているでしょうか。
脳が恐怖を感じ、動けなくするのは生き残るための本能です。
主人公は臆せず立ち向かいすぎて大変なことになるし、神でもない限りすべての問題を解決することはできません。
でも、「誰かがやるだろう」と見て見ぬフリをするなら、心を痛めることに、共感に、何の意味があるのか…
「自分は何をどこまでできるか、考えているか?」とギクッとしました。
主人公の視線はゴニだけでなく、こちらの心の中も真っ直ぐに見ているようです。
映画の脚本、演出も手掛ける、韓国の作家ソンウォンピョン。『アーモンド』は韓国で文学賞を受賞、日本でも本屋大賞翻訳小説部門で第1位を受賞しています。
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