私は方向音痴です。
どこに行くにもスマホのナビが手放せません。
自分がどこにいるか分からないとダメで、紙の地図では役に立ちません。
車だと、ナビがあっても狭い道だと曲がれません。スピード出るんだもの。
行きすぎたらぐるっと回って…ということもできません。一旦止まって来た道を戻らない限りは、どこまでも進むしかありません。
家から5分の距離で3回間違え、20分経って目的地に電話した時はさすがに心が折れました。
初めての場所に行くのはいつも冒険
こういう人に「今来た道を戻ればいいんだよ」は通じません。
そもそも、私、どっちから来たの?
長野の方は丁寧に道順を口で説明してくれることが多いのですが、「今言った道順で来てね」も通じません。
風景を頭で思い描けないのでサッパリ分かりません。
「1回行ったから分かるよね」も通用しません。同じ道を1人で3回往復して、風景を覚えれば行けます。
(1回目も覚えようとはしているのですが、大体の地図や空間認識ができていないので、覚える情報が膨大すぎるのです。)
そして覚えたと思っても、薄暗かったりするとまた間違える…。
情けない話ですが、友人はこれを知っているので、お店に一緒に行ってくれたり迎えに来てくれたりします。
そうでないと時間までに辿り着けない。お手数おかけします。
もう手遅れだと思っている
空間認識をはじめ、音楽や数学、語学などはそれぞれ脳の異なる分野を使っていて、能力が伸びるのは7歳くらいまでと聞いたことがあります。
私がこれを知ったときにはとっくに7歳を過ぎていました。
情報元がどこだったか覚えてないし、真偽のほども分かりません。
ただ私はそのとき「そうだったのか」と膝を打ち、方向感覚を身に付けようとするのをあきらめました。
ある時までは「私、べつに1人で行けるし」という顔をしていたのですが、結局バレるし、聞いた方が早いことも多いです。
呆れられますが、いた仕方なし…。
こんなんじゃ生き残れなかったはず
原始人や狩猟採集民族だったとき、私みたいのは生き残れない気がします。
獲物を夢中で追っていって、その度に帰れなくなるんじゃ、困りものにもほどがある。
今みたいに電話やナビもありません。
それでも現代までこうして生きてるってことは、脳が退化したのか、それとも何か別のメリットがあるんでしょうか?!
いや…もしメリットがあったとしても、頭の中の地図でサクサク行ければムダな時間がかかりません。
自分と回りのムダなヒヤヒヤもありません。
娘とは小さいうちに歩き回って、脳内の地図を作る練習につとめます。
だからこの言葉があるのかもしれません?!
可愛い子には旅をさせろ。