最近娘が「パッパッパー!!」と言うようになった。
これはもう、たいそう便利な言葉である。
「取って」も「やって」も「読んで」も「どうぞ受けとれ」も全部パッパッパー。
毎朝夫を見送ったあと、玄関から靴を持ってきてパッパッパー。
たった一言で、「外に行こう」とも「靴履きたい」とも「パパがいなくなった」とも受け取れる。
あっぱっぱのようでもあるし、オードリー春日のアパーのようでもある。こんな何だか分からない言葉で、日常会話が成り立っている。
願望空耳アワー
さらにこの言葉の便利なところは、聞く人によって聞きたい言葉に聞こえるところ。
パパが聞くと「パパ♡」に聞こえる。バァバが聞くと「バァバ☆」に聞こえる。
そして私が聞くと、たまーに「ママ!!」に聞こえる。
いや、でも、どっちかっていうとやっぱりパパか。
夫が「お父さん」「お母さん」と呼ばせたがっている意向を尊重して、「パパだよ」「ママだよー」とは言っていない。(お父さんお母さんなんて、音節の多い言葉最初に言えるわけないけど。)
のに、どこかで聞いてるんだろうか。
偶然だと思うけど、偶然「パパ」「ママ」に聞こえるとウッカリ嬉しい。
通じちゃうのがすごい
同時通訳者、米原万里さんのエッセイ『不実な美女か 貞淑な醜女(ブス)か』に、あらゆる挨拶を「どうも」で済ませる日本の政治家が出てくる。
「こんにちは」「先日はありがとう」「お久しぶりです」「初めまして」「さようなら」…
ぜんぶ「どうも」。
多くを語らなくても通じてしまいやすいのが日本語の良いところでもあり悪いところでもある。
私はきちんと言葉を使って伝えるように心がけたいと思っているが、それにしてもパッパッパーは便利だ。
まあそれは、周りの大人たちは全身全霊で娘のパッパッパーが意味するところを理解しようとしているからでもある。
米原万理さんのエッセイ、実際の名訳・珍訳を交えて書かれていてとっても面白い。題名がもう天才。