私もあなたも、きっと誰かの良い子ー『わたしの良い子』

「良い子」って、どんな子??

子育てをしている方もそうでない方も、なんとなく良い子のイメージがあると思う。

書店で見つけて、題名に惹かれて読んだ『わたしの良い子』は、とてもあったかい気持ちになれる小説だった。

朔との生活

主人公の椿という小学1年生の男の子と一緒に暮らしている。

ただし、朔は椿の子ではなく、妹鈴菜の子ども。

鈴菜は「落ち着いたら迎えに行く」と朔を置いたまま、沖縄でアート教えている男性のもとに行ってしまった。

椿は突然始まった子どもとの生活になんとか慣れていく。

でも、みんなと一緒に行動せず、勉強が苦手でひらがなにも苦戦する朔が心配でヤキモキしている。

世間一般から見て「良い母親」ではない鈴菜の子どもを預かっていると、本人はそう思っていなくても可哀想と見られることも多い。

椿は淡々としていて、「自分は自分、人は人」というところがあるが、やっぱり気になる。

椿は朔にしっかり育ってほしいあまり、他の子と比べてしまっていることに気付く…。

「その通り!」と思える箇所が多い

この小説を読みすすめていくと、椿も鈴菜も朔も、椿の同僚や同級生も、みんな人に言えない気持ちを抱えながら、それでも日々生きていることが分かってくる。

前半は描写がいちいち細かくて、ちょっと苦手なタイプの小説かと思った。朔の行動とそれに対する椿の感想が多い。

でも同じくらい、うなずいたり、グサッときたり、うーんと考えたりするところも多い。

そうしながら読んでいくうちに、最後はなんだか涙が出そうになった。

「わたしの」良い子

椿は子どもに向かって「良い子」と言うことをためらっていた。たしかに「良い子」という言葉には、素直で行儀が良くて大人が扱いやすい子というイメージがある。

でも、最後にはこんな言葉が出てくる。

「他の子みたいに」できなくったっていい。何の条件も満たす必要はない。 朔はそのままで、生きているだけで、じゅうぶんすぎるぐらい良い子だ。

『わたしの良い子』寺地 はるな著、 中央公論新社、p210

朔も鈴菜も、世間一般から見れば違うのかもしれないけど、椿にとっての良い子だ。

いてくれるだけで。

誰もが良い子

子育てに限らず、生きているとやっぱり周りは気になる。

うちの娘はなかなか体重が増えず、まるまるとした顔の赤ちゃんを見ると「うちより体重多いんじゃ?」と羨ましくなる。

いくつも言葉が出ている子をみると、うちの子は大丈夫かと心配になってしまう。

でも、本に載っている目安は全ての子どもの平均値。すべて平均値の子なんて1人もいない。

もし、なんにも目安通りにいかなくても、そもそもそんな条件を全て取っ払っても、娘は私にとっての良い子だ。

今日も公園や学校に行っている、すべての子どもが、良い子だ。

そして人に言えない思いを抱えながら、日々一生懸命生きている大人たちも、みんな誰かにとっての良い子なんだと思った。

とてもあったかい気持ちになれる小説。

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