母は自分を犠牲にしても子どもを優先する尊い存在ーー
日本ではまだ根強い母性神話ですが、実はずっと昔からあるわけじゃないらしいです。
『不道徳お母さん』というすごい題名に惹かれてこちらの本を読んでみました。
イヤなこと、おかしいと思うことに立ち向かう力を付けたい人に読んで欲しい本です。
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道徳は時代によって変わる
夏休みには読書感想文とか推薦図書がありますよね。
それらで「良書」とされる本は、みんな何となく思い浮かべるジャンルは一緒じゃないでしょうか?
考えさせられ、感動をさそう本…つまり子どもに「道徳」を伝えられる「物語」。
なぜ道徳的で、感動的でないといけないのでしょうか?
しかもその道徳は、時代によって変わると筆者は言います。
そもそも、以前は小説は有害とされていて、読まれるようになったのすら最近のことだそう。
もちろん人を傷つけたり物をとったりしちゃいけないとかは変わりませんが、良しとされる子どものあり方も時代と共に大きく変わっています。
今まで疑ったことがなかったので、今とは正反対の価値観にカルチャーショックで驚きました。
「不道徳お母さん講座」ではハンパない量の文献を引用しながら、現代の道徳観や学校教育へ容赦なくツッコんでいるのが痛快です。
時代背景によって、変わっていく常識や道徳。
母性神話が語られるようになったのも、ごく最近のことなんです。
愛国心と母性
歴史的に見れば、裕福な人(貴族など)は乳母に子守をさせて自分は子育てしないという時代もありました。
「家長」「イエ」が絶対で、飢饉の年には子どもを奉公に出したり間引きするしかないという時代もありました。
犠牲を払っているのは子どもで、母性幻想とは逆ですね。
子どもが無垢な守るべき存在、そして母性が神聖で献身的なものとして語られるようになったのは大正ごろから。
急激な近代化で活躍する個人は、古い共同体に閉じ込められたままの「母」に罪悪感を感じる。
そこで「母は自分に犠牲献身することだけが幸せ。女性は皆その尊い考えで、自分はその愛に値する尊い存在だ」という母性幻想のおかげで、自分を肯定することができる。
次第に「母」は「自然」「伝統」「自己犠牲」と結びつけて語られるようになりました。
そして戦前、1937年の国民精神総動員運動以降は、母の役割は「国のために死ぬ皇国民を生み育てること」となっていきます。
お国のために死んで無になるということは、(中略)子供が再び母の胸に戻って、永遠に一体化するということだ。この美しいイメージがさまざまなメディアを通じて流布されたことで、子供の命を差し出すことが美化されたのだろう。
「不道徳お母さん講座」(堀越英美著、2019年7月20日)p178
「死ぬとき、『天皇陛下万歳』という兵士はいなかった。みんな『お母さん』と言って死んでいったんだよ」
「不道徳お母さん講座」(堀越英美著、2019年7月20日)p179
たくさんの賢い女性が、子どもを愛する母たちが、気付かぬうちにこの考えは生活に入ってきて、いつのまにか身動きできないほどがんじがらめになっていて、大事な子どもたちは「国のため」と出征していってしまったのでしょう。
報道も情報も操作され、そう思わない人は「非国民」となったのでしょう。
今読むと洗脳のような気がしますが、現代でも「これが世論だこれが常識だ」と、メディアや学校などの共同体を通じて信じ込まされていることはない!とは言い切れ…ません。
背筋が寒くなります。
そして戦後、愛国心が問題視されるようになったのに対し、「母性幻想」だけはお咎めなしで現在まで生き残っているのです。
おかしいわけですね。
母が犠牲にならない子育て
子が2歳になり、子育ては1人では無理だと思っています。
みんな「後から見れば一瞬だから、そうやって面倒見れるのも今のうち」と言うけれど、それは実際そうなのだろうけど、走ってる当の本人にとっては超長距離のマラソンのようなもの。
1日や2日なら自分を犠牲にして頑張れても、子育てはずっと続きます。
永遠と思われるほど毎日。
給水しないと倒れます。
「母性でなんとかなる」という幻想が根強く残った結果、出生率は過去最低です。
地域のファミリーサポート、子育て支援センター、シッターさん、病児保育…
こちらからアクセスしないといけなくて面倒だけど、慣れてしまえば頼りになるサービスは意外とあるかもしれません。
身近にも助けたいと思ってる人は案外多いのかもしれません。
職場環境、学校行事や教育方針、地域のあり方…
少しでも子どもを育てやすい環境に近づけていけるよう、母たちが自己主張できる勇気をもらえる本でした。
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