先日ロアルド・ダール作「マチルダはちいさな大天才」を図書館で見つけたので久しぶりに読みました。
映画「チャーリーとチョコレート工場」の原作者としても有名なロアルド・ダール。子ども達が生き生きと大活躍するお話ばかりで、昔から大好きです。
子ども向けの本だと思っていましたが、大人になった今読んでもとても面白かったです!!
以前読んだときとは感じ方が違う部分もありました。
まずは、簡単なあらすじからご紹介します。
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あらすじ:賢いマチルダが親や教師を懲らしめる!
幼い頃から頭の回転が早いマチルダ。しかし両親は娘が学んだり本を読んだりするのを嫌っています。
マチルダは両親のいないすきに図書館でどんどん本を読んで力をつけ、学校で素晴らしい先生にも出会います。
しかしその学校にはトンデモナイ校長先生が…!!
幼いマチルダは、子ども達を疎んじる両親や教師にどうやって立ち向かうのでしょうか?!
皮肉が効いていて、マチルダのやり方が痛快です。
大人になってから読んだからこそ感じたこと
この本を久しぶりに読んで感じたことが二つあります。
自分の視点が親目線に変わってた
今まではもちろんマチルダやその友達など、子ども目線で読んでいました。
この本に出てくるトンデモナイ大人達に対して、「理解できない!」と感じ、「今だ!やっつけろー!!」と主人公と一緒に戦っているような気持ちでした。
今は、トンデモナイと思いつつ、こんな風にならないよう自分も気をつけなければ…とどこかで思っていることにビックリしました。
天才の親が素晴らしいとは限らない
マチルダの親はいつだって自分の悪徳商売やビンゴ、そしてテレビに夢中です。マチルダのことはかさぶたぐらいにしか思っていません。
しかし、マチルダは自らの頭脳と勇気を駆使し、自分の学ぶ権利を勝ち取っていきます。
そういえばハリー・ポッターの育ての親もハリーのことを目の敵にしていました。
家族の状況や設定が全く違うので比較にはなりませんが、ハリー・ポッターも環境に左右されずに力をつけて、立派な魔法使いになっていきます。
これらは物語の中での話なので、現実はどうか分かりませんが…
子どもの才能はちゃんと育つ
「どんな状況であっても子どもの才能はちゃんと育つ」んだと思います。
これは決してネグレクトをして良いとか、マチルダの両親のように子どもを見もせずに邪険に扱っていいという意味ではありません!
ただ、子どもには自ら成長して学ぶ(勉強に限らず)力があるんだろうなと感じました。
親が干渉しすぎたり道を全部決めてあげたりする必要はないのでしょう。
「やってあげてる」と自分の理想を押しつけすぎにはならないようにしたいものです。
親が全部やろうと気張らなくてもいい
私が小学生の頃、父の勤めていた会社が倒産したことがありました。
今思えばそこから我が家の経済状況は雲行きが怪しくなり、塾に行けなかったり大学受験の選択肢にも縛りが発生した気がします。
ただ、これは父のせいでも母のせいでもありません。
もし貯金がふんだんにあるお宅だったら私は違う選択ができたかもしれません。今の生活も違ったかもしれません。
が、これはもう私が生まれ持った運です。
自分が出発したところからどうするかは本人が考えていくしかないのです。
私も娘のために精一杯やるけど、将来やってあげられないこともあるかもしれません。
それでも与えられた環境の中でいろんな人に出会って選択していくのは娘自身だし、娘にはその環境で成長する力がきっとあります。
娘が生まれてから、
「私がしっかりしなければ、この子が育たなかったらどうしよう」とか
「幼児教って育早くやらないとダメなのかな」とか
「私が知らないばっかりに、成長してから手遅れになっちゃうことがあるんじゃないか(絶対音感のような能力について)」とか
不安になることが多々ありました。
私のこうした不安を拭ったり親としての気持ちを満足させたりするためではなく、本当に娘にとって必要なのかを毎回立ち止まって考えたいと思います。
娘自身の成長する力を信じて。
まとめ:児童書を読んで考えたこと
久しぶりに「マチルダはちいさな大天才」を読んでみたら、痛快で読後はスッキリしました!
同じ本でも昔読んだときと感じ方が変わったことが分かり、子どものたくましさ、大人の関わり方についても考えさせられました。
気になったら是非読んでみてくださいね!