『クララとお日さま』娘と重ね合わせるともうヤバい小説

『愛とは、知性とは、家族とは?』

将来の、いや現在の世界を表しているような、穏やかで不気味で哀しい小説です。

「クララとお日さま」簡単なあらすじ

クララは人工親友(AF:Artificial Friend)。オンライン学習が主流となった社会で、子どもたちの「親友」となるために作られました。

クララは14歳くらいの女の子ジョジーに買われて友情を深めていきます。

ジョジーの家族や幼なじみと共に、日々観察・学習をしながら過ごすクララ。

ただ、病弱なジョジーの体調は徐々に悪化していきます…。

クララが選ばれた本当の意味とは?

そのときクララが取った行動とは?

この本は、なんとAFのクララの語りで進んでいきます。

だから、ところどころぎこちなかったり、視界がボックスに分割されたりとAIらしさも感じます。

他の人の会話で物語が進む場面が多く、クララ自身が感情的になることはないので終始淡々としています。

だからサラッと読めてしまうのですが、最初は読者には明らかになっていない謎があり、朗らかなのに不気味です。

2回目以降は涙が出てしまって読めない箇所も多くありました。是非読んでみてほしい本です。

これ以降ネタバレあります!

全部バレても読める人(私)以外は読まないでください!

気になる方はぜひ本を手に取ってみてくださいね!

この本で一番ハッとした一文です。

特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。

『クララとお日さま』カズオ・イシグロ/土屋 政雄、早川書房、p478

子どもの将来を決める決断の重さ

ーーーーーー これ以降ネタバレあります! ーーーーーー

この本の社会には大きな格差があります。

それは子どものころに遺伝子の『向上処置』を受けているかどうか。

ジョジーは受けているけれど、幼なじみのリックは処置を受けていません。

小さいころから仲が良く将来を約束した2人ですが、就学や就職、結婚にまで影響があるこの格差と周りからの差別によって、微妙に関係に変化が生じてきます。

これだけ聞くと処置を受けた方がいい気がしますが、この処置にはリスクが…。

子どもたちが運命を受け入れている姿に比べ、母親達の方が子どもっぽいように感じることすらあります。

自分が独身のときに読んでいたらそう感じたかもしれません。

でも「子どもに全てを」と願う気持ちと、処置が失敗したときに執着してしまう気持ち

娘がいる今読むと、どちらにもとても共感してしまいます。

現実の社会には遺伝子編集などの処置はありませんが、技術が進歩して、近い将来子どもの人生を決定してしまうような決断を迫られる世界がやってくるかもしれません。

現代にもそれに近い選択をする場面がもうあるのかも。

同じ人間である親がどこまで決定できるのか、倫理的にどんな技術を「アリ」とするのか…。

現代を生きる私たちに問われている気がします。

まっすぐな信仰と献身

クララは太陽光を充電して活動しています。

そのためか、人間も病気の時に「お日さまの特別の栄養」をもらえば元気になると信じています。

だからジョジーの体調が悪くなったときも、お日さまに交換条件を提示して、ジョジーを助けてもらおうとします。

クララは常に一生懸命で献身的。

それが、不気味で読んでいて怖いです。

もしAIが感情や思考を持てば、信仰も持つようになるのでしょうか。

作中でAFはあくまで「モノ」として扱われています。

持ち主が無邪気に性能を比較したり、子どもが成長したら捨てられてしまったり…。

人間や動物のように成長したり、病気になったりということはありません。

でも感情や信仰を持ち、記憶や計算など人間には適わない能力も持つ人工知能はモノとして扱って良いのでしょうか。

また、どんなに知識や頭脳はすごくても、クララのように「え?」と思うような信仰に没頭した場合、その健気さゆえにとても恐ろしい存在になりえる可能性にぞっとしました。

他の誰とも違う何かはあるのか

気持ち的にいえば、この世には1人として同じ人間はいません。

では科学的には、あなたが他の誰とも違う理由は何でしょうか。

身体的特徴や、これまでの経験や、選択のクセでしょうか。

では技術で完璧に特徴を再現でき、記憶や思考のクセをAIが全て学習して再現できるとしたら…?

その人をその人たらしめる『特別な何か』は、どこにあるのでしょうか。

後書きに「昔から人間は人間の似姿を造ってきた、それはある種の不死を達成するためか」とあります。

技術が進歩するとそれが実現できるかもしれません。

それがマッドサイエンティストではなく、ただの子を想う母の願いからできてしまう。

それってAIの歪んだ信仰心と何が違うんだろう。

倫理観とか法律とか、すり抜けてしまいそうです。

この一文は母でも技術者でもなく、クララのセリフであることが印象的です。

特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。

『クララとお日さま』カズオ・イシグロ/土屋 政雄、早川書房、p478

最初は翻訳の文章や独特の表現が読みづらいという方もいるかもしれません。

でも、そんな方もできれば2回読んでほしい本です。

一度目は隠された意味が分からずなんとなくで読めた部分も、二度目は全く違って見えます。

私は何度読んでもボロボロ泣いちゃうところがあります。

読んでみて感想を教えてほしいです。

ぜひAFのいる世界を体感してみてください。

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