「太陽の塔」や「夜は短し歩けよ乙女」などで有名な小説家、森見登美彦さん。
この「太陽と乙女」では、森見さんが読んだ本や日常、自身の小説について語っている。
文章の面白みはそのままなので、森見さん自身が主人公になった小説のような本。
『太陽と乙女』
著者:森見 登美彦、 出版社:新潮社、 2017年11月20日
これは「眠る前に読むべき本」
この本の前書きで「眠る前に読むべき本」を作ったと森見さん自身が書いている。
面白すぎる小説は先が気になって眠れなくなるし、逆に面白くない小説は読む気にならない。難しい哲学書など、頭が最も冴え渡っている時間でなければ読むことなど土台無理な話。
哲学書のように難しすぎず、小説のようにワクワクしない。面白くないわけではないが、読むのが止められないほど面白いわけでもない。実益のあることは書いていないが、読むのが虚しくなるほど無益でもない。とは言え、毒にも薬にもならないことは間違いない。
『太陽と乙女』p2より
「太陽と乙女」はこんな本だそう。
ただ森見さんの文章は、私にとっては読むのが止められなくなるほど面白い。
「太陽と乙女」も、読んでいて声を出して笑ってしまうところがいくつもある。
ハタから見たらたいへんブキミである。
これは電車では読めない。やっぱり寝る前用になる。
寝る前にの本を開くとステキに面白く興味深い。毒にも薬にもならないなんてことはなく、何やらほっこりするサプリみたいになる。
なのに読んでいると、なぜか眠くなる。
「私は寝ない!全部読むのだ!!」と叫びながらも結局は布団に倒れ、ニヤニヤしながら眠りに落ちる。
なんという幸せ。
この本は、眠る前に読むべき本という目的を達していると思う。
ゴキゲンな文章に惹かれる
森見さんの小説には「森見節」がある。一度でも読んだことがある方なら分かると思う。
「太陽と乙女」には、森見さんが書いた「他の作家さんの小説の文庫版解説」も載っているが、読めば森見さんの文章だとイッパツで分かる。
そして森見さんが紹介している本は読みたくなる。文庫版もさぞかし売れたであろう。
文章だけで誰が書いたかすぐ分かる作家さんは他にもいるかもしれないが、森見さんの文章は常にゴキゲンだ。
小説の登場人物はヘリクツをこねくりまわしたり、むくれたり、四畳半に立てこもったりと眉間にシワを寄せているのだけど、文章は常にゴキゲンだと思う。
お散歩中に立ち止まって好みの石を見つけたり、水たまりがあればすぐ覗きに行ったり(こう書くと3歳児みたいだけど…)している感じ。
どこからこんな文章が出てくるのだろう??
ご本人は「妄想で書いている」とおっしゃるけど、きっとそんなはずはないし、まあ本当にそうだったら、なんてうらやましい。
森見さんが学生時代に思うような小説が書けなかったとき、内田百閒の小説に再会してその文章に圧倒され、目指す方向がハッキリしたとこの本には書いてある。
独自路線を行っていると思っていた森見さんにも目指す人がいたことが少し親近感を感じる。寡聞にして内田百閒を知らなかった。読んでみたくなる。
また、森見さん流の文章の作り方にも少し触れられている。
最初はメモを作ってとりあえず書き始める。
書いている間に、自分でも考えてもいなかったことが出てきたり、新しい発見があったりして、それを膨らませていくそう。
あの壮大なごちゃごちゃ世界が、最初からあったネタばかりではないということに驚き。
確かに書いている中で「ああ、自分こう思ってたのか」と新たに発見することはある。
書いて書いて書き続けていればいつかこんなレベルにまで到達するだろうか?
スポンサーリンクたった12歳しか違わない
森見さんがデビュー作の「太陽の塔」を出したのは2003年。
なんと、24歳の時だったということを知ってびっくりした。
24の時って…私たち何してた?
私にも「詩人か高等遊民にしかなりたくない」と眼前の全てから逃亡したことはあったけれど、森見さんは本当にその主張を貫いていた。
「太陽の塔」や「夜は短し歩けよ乙女」など、クサレ大学生の話は自分も大学在学中に大好きで、その後「熱帯」や「夜行」などヒンヤリ不気味な話も好きになった。
これだけ1人の作家さんの作品を読み集めていることはあまりない。
小説を書き始めた大学~大学院在籍中から、年を重ね森見さん自身が変化していくものがあるのだろうか。
比較的年齢が近いということはこれからもたくさんの作品に出会えることが嬉しいし、今後の変化も楽しみ。
それにしても、森見さんの小説は好きすぎていろんな人に貸し、返ってこないものが多い。
ほとんど持っていた気がするんだけど。
持っている方は返してほしい。
※森見さんの文章にひっぱられて、ところどころエセ森見節を使ってすみません。。森見さんの本を読んだ後2日くらいは脳内がこうなります。